
沿革
緑字:花火業界の出来事
| 1854年(安政元年) | 三河国吹羽良村羽角に初代・加藤小兵生まれる。父を喜十といい、代々庄屋を営む。 |
|---|---|
| 1879年(明治12年) | 色花火ができるようになる。 |
| 1884年(明治17年) | 火薬取締規則が制定公布される。 |
| 1887年(明治20年) | 加藤小兵が最明流を興す。その眼、光を失うも花火は衰えを知らず。最明流の発祥地には現在も石碑が残されている。 |
| 1911年(明治44年) | 玩具花火製造が都道府県知事の許可制となる。 |
| 1926年(大正15年) | 小兵の次男、二代目・加藤喜平が加藤煙火を創業。 |
| 1940年(昭和15年) | 全国煙火連合会設立。 |
| 1941年(昭和16年) | 太平洋戦争のため、花火の打上が禁止となる。 |
| 1948年(昭和23年) | 戦後花火製造許可される。 |
花火の製造と許可とともに戦前より考案していたパラシュート花火の製造を開始。輸出を大々的に始める。 |
|
| 1953年(昭和28年) | 加藤煙火株式会社設立。 |
| 1960年(昭和35年) | 周辺の市街化に伴い愛知県蒲郡市から愛知県額田郡幸田町へ工場移転。 |
| 玩具花火が火薬取締法の適用を受ける。 | |
| 1962年(昭和37年) | 日本煙火協会設立。 |
| 1966年(昭和41年) | 三代目・加藤博之が社長就任。 |
| 1960〜1970年代 | 愛知県三河地方が世界の花火工場となり、玩具花火・打上花火共に大量生産される。 |
| 1975年(昭和50年) | 太田紙工社長と共に、星掛け釜の開発に成功。現在も主流の星の製造法を確立する。 |
| 1985年(昭和60年) | オーストラリア ブリスベンで花火打上。 |
| 1986年(昭和61年) | マレーシア クアラルンプールで花火打上。 |
シンガポールで花火打上。 |
|
| 1989年(平成元年) | 愛知県蒲郡市に火薬庫2棟設立。 |
| 1993年(平成5年) | 愛知県蒲郡市に火薬庫1棟設立。 |
| 1994年(平成6年) | 中国 上海で花火打上。 |
オーストラリア メルボルンで花火打上。 |
|
| 1996年(平成8年) | 四代目・加藤利宏が社長就任。 |
| 1997年(平成9年) | 全国に先駆け、コンピューターを使用した点火システムの使用開始。 |
| 1998年(平成10年) | 大曲の全国花火競技会で優勝。 |
| 2002年(平成14年) | 諏訪湖全国新作花火大会で優勝。 |
| 2004年(平成16年) | 愛知県蒲郡市に火薬庫1棟設立。 |
| 2008年(平成20年) | 現代美術家・蔡國強氏と共に、広島・原爆ドームで鎮魂の黒い花火を打上。 |
| 2010年(平成22年) | 幸田工場に火薬庫2棟設立。 |
| 2012年(平成24年) | 幸田工場を拡大・改修。 |

加藤小兵が最明流を興す。その眼、光を失うも花火は衰えを知らず。最明流の発祥地には現在も石碑が残されている。
花火の製造と許可とともに戦前より考案していたパラシュート花火の製造を開始。輸出を大々的に始める。
加藤煙火株式会社設立。
周辺の市街化に伴い愛知県蒲郡市から愛知県額田郡幸田町へ工場移転。
愛知県三河地方が世界の花火工場となり、玩具花火・打上花火共に大量生産される。
太田紙工社長と共に、星掛け釜の開発に成功。現在も主流の星の製造法を確立する。
オーストラリア ブリスベンで花火打上。
マレーシア クアラルンプールで花火打上。
シンガポールで花火打上。
中国 上海で花火打上。
オーストラリア メルボルンで花火打上。
